7月5日、石狩市浜益区送毛において、第32回送毛聖地祈願祭が執り行われ、地元北海道はもとより東北、関東、中部の各教区から940名の教信徒が参列した。
 この祈願祭にあたり、6月7日と28日の2度、送毛聖地の清掃作業が北海道内の教信徒によって行われ、28日の作業終了後には彩雲が現れたという。祈願祭当日も晴天に恵まれ、天の限りない祝福に感謝申し上げた。
影の澗祈願祭
 午前7時55分、送毛研修道場広場にて祭儀が執り行われた。修祓の後、聖歌 「祈りの歌(1)」奉唱の中、教主 (法名:大和松園)が礼拝案に進ん だ。「天津祝詞」「祈願の詞」に続き「国運安泰・天寵豊穣・萬霊鎮魂祈願祭文」が奏上され、遍照の鈴が奉振された。この後、教主(田澤清喜、法名:大和松園)、教主令室(田澤真里、法名:大和松楽)、前教主令室(田澤眞佐子、法名:大和松華)、代表総務、北海道連合会長が玉串を捧げ、祭儀を終了した。
 今年は、開催間近になって影の澗での祭儀が困難となり、急遽送毛研修道場広場へ会場を変更した。影の澗では地理的な関係からこの時間帯に陽が射すことはないが、今回は明るい光の中での祭儀となった。
送毛聖地祈願祭
 9時25分、「教祖敬慕頌徳記念碑」前で送毛聖地祈願祭が開催された。
 初めに、岩倉北海道連合会長から挨拶があり、「君が代」と聖歌「殉道の歌」奉唱のうちに国旗と殉道旗が掲揚され、祭儀が執り行われた。この日の祭員は、5名の北海道連合青年会員が務めた。聖歌「祈りの歌(1)」奉唱の後、「天津祝詞」「祈願の詞」に続いて「送毛聖地祈願祭拝詞」が奏上され、古の教祖(田澤清四郎、法名:大和松風)の奇しきご霊験を畏み忝なみ、神意の顕現と世界の平和が祈願された。清祓に続き玉串奉奠では、教主、教主令室 、前教主令室に続いて、総務、監事、来賓および教区長等が玉串を捧げ、昇神の儀をもって祭儀は終了した。
 続いて、来賓の鈴木宗男衆議院議員から挨拶があった後、北海道連合青年会「北光舞神」によるよさこいソーランが披露された。子ども達を含む元気の良い演舞に、会場から盛んな喝采が送られていた。続いて青年会員の先導で教主と教主令室へエールが送られ、会場全体が大きな感動に包まれた。
 休憩の後、式典となり、聖歌「三光」奉唱に続いて、教主より垂教があった。最後に、聖歌「感謝の歌」を奉唱し、万歳三唱をして祈願祭の全日程を終了した。
前夜祭
 7月4日午後5時30分から、送毛研修道場広場において送毛聖地祈願祭前夜祭が開催された。
 教団代表の挨拶に続き、地元を代表して、藤原光成元送毛小学校長が挨拶に立たれた。藤原氏は、大和山の信者が送毛地区沿道と墓地の草刈りを実施してくれたことへの感謝を述べると共に、一生懸命に草刈りをする姿から、神に仕える信仰の形を汲み取らせていただいたこと。また、関わりを持たせていただく多くの信者さんのお人柄から、信仰の心を学ばせていただいていること。そして教主令室のご懐妊について、お祝いと共に、大和山の喜びの中からの光が、やがては四海を照らし、その輝きが多くの人たちを包んで、大和山が発展していくであろうと述べられた。
 続いて、乾杯の後、暫し食事と歓談となった。北海道連合青年会担当の余興では、趣向を凝らしたクイズ大会や盆踊りに、地元の送毛や浜益の人たちも加わって大いに盛り上がり、楽しい一時となった。
ボランティア活動
 送毛聖地祈願祭にあたり、教団が推進している「光つたえる運動」の一環として、現地でのボランティア活動が行われている。
 これは、送毛聖地本部職員研修団の活動のひとつとして、平成15年に始まったものだが、現在は、北海道連合会の中に組織されている「浜益地区光つたえる運動推進委員会」が中心となり、北海道だけではなく、他県の教信徒も参加するようになってきている。今年の参加者は延べ47名であった。
 活動内容は、7月3日に特別養護老人ホーム「あいどまり」の網戸洗いや草取り等の清掃作業。翌4日には、海水浴場「浜益海浜公園」のゴミ拾いを実施した。海水浴場のゴミ拾いでは、一般の青年4人(男性3人女性1人)が、手伝いを申し出て参加者を驚かせた。札幌から遊びに来たという4人は、ゴミ拾いをしている姿を見て声を掛けたのだという。青年たちは、本当に楽しそうにゴミの分別作業を手伝ってくれ、参加者に清々しい感動を与えていた。
 当日お世話くださった区役所の方の話では、年々この海岸を清掃するボランティアが増えてきているとのことである。大和山のささやかなる善意が、教団を超えた社会の善意のきっかけの一つとなっている。これも、32年の長きに亘り、送毛聖地に寄せて来た数多くの教信徒の真心の賜である。
聖地 = 送毛 =
 教祖は、大正11年旧4月6日の送毛での体験について、著書「開山誌」に次のように記している。

 「一天雲なき夜の月夜であった。(中略) ○と十の字光にて白くゑがかれ、中心に月在り。何れが真の月なりや、判別つかず。二つの月在り。西側には、天界に在る星集まりたる如く、その数無数。他を見るも星を見ず。此の異観、奇跡的現象を眺めて、漁村の人々、近い内に大時化来るならんと云ふ。松風、左にあらず、村人に見せたるものにあらず。是、松風に示す神の啓示なれば、騒ぐべからずと戒む。松風思ふに、自分一人見る時は、目の錯覚ならんと云はるゝ為、村人にも見せたるものと思ふ。」

 「此の神力賦與されなば、何物も恐るる事なし、出来ざるなし、初志念願の通り、廣く世人を救ひ、時至りなば、地上天国、即極楽建設も出来うべしと心中期する處ありき。帰宅して神に伺えば、松風悟りよろしとの御証明を得たり」

 「影の間の岩の形ハ神姿 北を守るの形なり (中略) 影の間崎海面に立つ男神姿岩」

 送毛は、教祖が、神との因縁に深く思いを巡らし、神業確立の信念を一層堅固にした場所であり、大和山第2の聖地である。初代教主(田澤康三郎、法名:大和小松風)は、昭和37年7月7日に初めてこの地を訪れ、送毛での教祖の事跡を鑽仰する記念碑の建立を発願した。爾来16年の長きに亘り、紆余曲折を経、昭和53年(1978年)8月20日、「教祖敬慕頌徳記念碑」が建立された。
 石碑には、
此処天神経綸之地
飛龍北海守護之座

 ここてんじんけいりんのち
 ひりゅうほっかいしゅごのざ

と神示の文字が刻まれている。