11月1日、天台宗比叡山延暦寺根本中堂において、『第25回大和山献油式』が執り行われた。 根本中堂は、比叡山延暦寺の総本堂であり、一番奥の内陣には、最澄が刻んだ本尊の薬師如来と「不滅之法燈」が安置されている。
 献油式は、今年25回目という節目を迎えた。菜種栽培は、北は北海道遠軽教区から南は九州教区まで全国の信者に呼びかけて行われており、地方や品種によって差はあるが、毎年8月の下旬から10月初旬に種を蒔き、次の年の6月中旬から7月一杯が収穫期となり、それを搾油したものが献納油(千年油)となる。
 参列者は、全国から参集した教信徒300名。天台宗からは、第256世天台座主半田孝淳猊下をはじめ、武覚超延暦寺執行ほか延暦寺役員。そして上原行照大阿闍梨と、9月18日に千日回峰行を満行された光永圓道大阿闍梨である。
 午前10時、一隅を照らす会館前より根本中堂に向けて参進。小堀光實延暦寺副執行を先頭に、目録、千年油、行者わらじ、蓮華笠の捧持者外、大和山関係者と延暦寺式衆が続き、前教主令室、田澤教主、半田猊下、そして最後に武執行が根本中堂に入堂した。根本中堂中陣で対座し献油式が進められた。
参進 根本中堂中陣
 一同が中陣に着座すると、まず「天台宗歌」が奉唱された。続いて田澤教主が、この度の献納品の目録を読み上げ、半田猊下に贈呈した。今年奉納されたのは、菜種を搾油した菜種油(千年油)1年分540リットル(5リットル入り容器108缶)と行者わらじ1,200足、および蓮華笠1个である。次に、半田猊下より田澤教主に請書が手渡された。
 この後、延暦寺式衆が内陣に入り法要となった。護摩が焚かれ、読経の声が響き渡る中、田澤教主が内陣に入り、本尊薬師如来像前に灯されている「不滅之法燈」に千年油を注いだ。
目録贈呈 不滅之法燈へ菜種油を注ぐ教主
 続いて焼香をした後、半田猊下よりお言葉を賜り、田澤教主が挨拶を申し上げ、武執行より謝辞が述べられた。最後に、大和山聖歌「ともしびの歌」を奉唱して退堂となった。
焼香 半田孝淳 天台座主
 献油式は、多くの一般参拝者や観光客が見守る中で行われたが、司会の小堀副執行によって「青森県に本部がある松緑神道大和山による『不滅之法燈』に使われる菜種油の献油式」であること、そして、「『不滅之法燈』を守ることを通して『心の灯』を守っていこう」という献油の主旨が何度も紹介され、多くの人たちが足を止めて興味深そうに見学していた。中には、合掌して一緒にお拝りをしている参拝者も見受けられた。 信者の尊い汗の上に築かれてきた献油25年の歩み。私たちは、「正しく信仰を続ける」ことを忘れてはならない。「不滅之法燈」は静かに問いかけている。「心の灯は消えていないか」と。
参列者 一般参拝者

献油の由来
 大和山に「不滅之法燈」が分灯されるまでの経緯を簡単に述べると、昭和51年、初代教主 田澤康三郎(法名:大和小松風) は、シンガポールで開催された第1回アジア宗教者平和会議において、第253世天台座主山田恵諦猊下と初めて出会い、これ以後親交を深めた。昭和57年には山田猊下が大和山本部へ参山され、光霊殿例祭においてご回向を賜っている。昭和58年、初代教主は、大津市坂本のご自坊に山田猊下を訪ねた折、翌昭和59年の立教66年・教祖生誕百年祭を慶祝記念の意味で「不滅之法燈」の分燈をお許しいただけないかと申し出た。この時山田座主猊下は「それは伝教大師のご遺志に叶うことだから」と仰ったという。ここに、初代教主と山田座主猊下の確固とした信頼関係を窺い知ることができる。
 こうして、立教66年昭和59年6月4日、教祖生誕百年祭の最終日、大和山に「不滅之法燈」が分燈された。奇しくもこの日は、松緑神道大和山会結成祝賀会が行われた旧5月5日(昭和5年)であるだけではなく、この6月4日は最澄上人入寂の日であり、天台宗ではこの日、「山家会」と称する法要が営まれる。
 昭和59年5月23日、根本中堂で行われた分灯式において、証書と請書がそれぞれ山田座主猊下と初代教主によって交わされた。この後、初代教主は、この不滅之法燈を「永遠の燈火」として奉載し、菜の花を「心の花」と定めて「菜の花一坪栽培運動」を提唱した。また、自家精製した菜種油を千年油と命名し、千年に亘ってこれを献納することを約束したのである。法燈を守ることは心の灯を守り続けることでもある。こうして、昭和60年11月24日、第1回大和山献油式が根本中堂にて執り行われた。奇しくも11月24日は、天台大師入寂の日である。
 献油と共に初めて行者わらじが献納されたのが、昭和63年の第4回献油式であり、翌平成元年からは、蓮華笠も献納されるようになった。

千年油 不滅之法燈